「植木の里親」活動で
植物の命と人の想いをつなぐ
庭師や植木職人というと、木に登って枝を切っているシーンがうかぶのでは? 山下さんはそういった仕事のワクをこえ、ユニークな活動に取り組んでいるよ。それは、植物たちの命をつなぎ、人の想いもつなぐものなんだ。
庭木の手入れや庭づくりなどをする職人です。
2012年から「植木の里親」という活動を始めました。引っ越しでもう世話ができない、家の取りこわしで植えておく場所がなくなるなど、色々な事情で育てられなくなった植木などを、引き取ってあずかり、新たに育ててくれる人にわたします。
通常、育てられなくなった植木などは伐採※され、すてられてしまいます。でも、植物たちもぼくらと同じ生き物です。また、1本の木には育てていた人の愛情や家族の思い出などがこもっています。その命を救い、同時に植物たちへの人の想いも救いたいと考えています。
最近は、ベランダや室内で育てていた観葉植物、盆栽などの引き取り依頼も増えています。引き取りが増える一方で、もらってくれる人をさがすのが課題でした。そこで2021年に「もらえる植物園」をスタート。ここでは、引き取った数々の植物たちを直接見て、選んでもらうことができます。
※木を根本から切ること
山下さんは、育てられなくなった植木を引き取り、新たに育ててくれる人にわたす活動をしている。
木の命を救うだけでなく、人の想いをつなげる活動として注目されている。
小学生の時、「いじわるばあさん」のドラマに出てきたはんてん※1姿の庭師さんを見て、「かっこいい!」と思ったのがきっかけです。
高校の同級生の家が造園会社だったので、夏休みなどにアルバイトをさせてもらい、卒業と同時にその会社に入りました。ところが想像とちがってじっくり取り組める仕事は少なく、もっと植木と、植物と向き合いたいという気持ちがつのり、独立することにしました。
独立後もたくさん仕事をこなさなければと無我夢中で、思うような仕事はなかなかできませんでした。さらに、仕事中に不注意から頸椎※2を骨折する大ケガをしてしまい、入院していた半年で本当にやりたいことをじっくり見直しました。
ちょうどそのころです。植木の伐採に行った家で、年配の女性のお客様が悲しそうに木を見ていたので話を聞いてみると、「亡くなった主人が大切にしていた木で、本当は切りたくない」となみだを流されて……。家を直す工事にじゃまになるため、やむを得ず伐採を決めたそうなのです。
思わず「ぼくが育てます」と言い、植木を持ち帰りました。それから多くの人が同じような想いを持っていることを知り、「植木の里親」を始めました。
※1 和服の上着で、職人の仕事着によく使われる
※2 首の骨
Q3.
仕事で苦労したこと、感動したことは何クエッ?
ぼくはうっかり者でよくケガをします。手を骨折し、ハサミもスコップも持てなくなったことがあり、さらに当時1人だけだったスタッフも手を骨折。仕事にならず、会社をたたむしかないかもとも考えました。
でも、こまり果てた時にそれまでなかった発想が生まれたのです。ほかの造園会社の人にたのめばいいのではと。それまでは自分の会社だけでやるのが当たり前で、ライバル心もあり、考えたこともありませんでした。
地域の造園会社にたのんだら快く引き受けてくれ、しかも売上がいつも以上に向上。協力し合うすばらしさに感動しました。それは今も心にあり、大切にしていることです。
自然の中で遊ぶのが好きでした。住んでいた所も自然豊かでしたが、大好きだったのが山の中にあったおじいちゃんの家。よく行っては、竹でおもちゃの鉄砲を作ってもらったり、川でサワガニをつかまえたりして遊んでいました。
雨も好きで、カサもささずに雨の中で遊んでいましたね。
勉強は得意ではありませんでしたが本は好きで、植物や動物、宇宙などの図鑑をよく読んでいました。
また、おかしで特にお気に入りだったのは、チョコボールのピーナッツです。
そばにいるだけでいやされる植物たちは、親しめば友達、親友にもなってくれます。ちょっと目や耳を向ければ、木のざわめき、葉っぱの美しい色や形など、すばらしいものがたくさんありますよ。植物たちと、もっと遊んでほしいと思います。
庭は自然の縮図です。都会の小さな庭でも、自然を感じることはできるはず。自然を楽しむことが豊かな地球をつくっていくことにつながっていきます。
プロフィール
高校卒業後、造園会社に就職。2004年に独立し、2008年に会社「やましたグリーン」を設立。「植木の里親」の他、若手の練習台になる「植木のカットモデル」制度など、多様なアイデアを打ち出している。