サステナブルなお仕事No.31

ガラス職人

軍司昇ぐんじ のぼるさん


ガラス職人

軍司昇ぐんじ のぼるさん

流氷への想いをこめて
蛍光灯けいこうとうから作る
キラキラのガラス
オホーツク海に面する北海道網走あばしり市の工房こうぼうで、ガラス製品を作っている軍司さん。その一つひとつに、生まれ育った網走の自然、地球を守りたいという想いがこめられているんだ。キラキラしたコップやお皿は、蛍光灯が生まれ変わったものなんだって!
Q1.
どんなお仕事クエッ?
流氷をはじめ、オホーツク海と網走の自然をモチーフにしたガラス製品を作っています。

材料は、ゴミになった蛍光灯けいこうとうをリサイクルしたガラス。すてられた蛍光灯が全国から集まってくる処理場しょりじょうがとなり町にあり、そこでリサイクルしたものを食器などの製品に生まれ変わらせています。

作り方にもこだわっています。実は、ガラス製品を作るには、膨大ぼうだいなエネルギーを使います。原料をとかすかまを1300度というとても高い温度になるまで熱くする必要があるからです。なるべく使うエネルギーをへらすために、燃費のいい窯を使っています。

また、熱を有効利用できる工夫もしています。網走はとても寒い所なので、1年の半分以上煖房だんぼうが必要です。そこで、窯からもれる熱を煖房にも活用しています。逆に電力が足りなくなる夏の間は、節電に協力するために、窯は止めることにしました。網走でも暑い日が増えており、窯が熱を持つと冷房を使わないといけなくなるからです。
オホーツク海沿(ぞ)いにある「流氷硝子館(りゅうひょうがらすかん)」でガラスを作る軍司さん。冬、網走におし寄せる流氷は地球温暖化(おんだんか)の影響(えいきょう)で年々へっている。流氷硝子という名前には、温暖化を防ぎ、流氷がなくならないようにしたいという想いがこめられている。同館には工房のほか、カフェやショップも併設(へいせつ)。
オホーツク海沿いにある「流氷硝子館りゅうひょうがらすかん」でガラスを作る軍司さん。冬、網走におし寄せる流氷は地球温暖化おんだんか影響えいきょうで年々へっている。流氷硝子という名前には、温暖化を防ぎ、流氷がなくならないようにしたいという想いがこめられている。同館には工房のほか、カフェやショップも併設へいせつ
蛍光灯のガラス部分をリサイクルした原料を使用。ガラス原料以外にも、乾電池(かんでんち)のリサイクルで出る物質(ぶっしつ)や、ホタテの貝がら、温泉(おんせん)の成分が固まってできた湯の花など、地元の資源(しげん)を活用する。
蛍光灯のガラス部分をリサイクルした原料を使用。ガラス原料以外にも、乾電池かんでんちのリサイクルで出る物質ぶっしつや、ホタテの貝がら、温泉おんせんの成分が固まってできた湯の花など、地元の資源しげんを活用する。
手に取ることで環境問題について考えるきっかけにしてほしいと、食器、インテリア用品、アクセサリーなど、日常的に使ってもらえるものを作っている。
手に取ることで環境問題について考えるきっかけにしてほしいと、食器、インテリア用品、アクセサリーなど、日常的に使ってもらえるものを作っている。
Q2.
なぜ、そのお仕事を選んだクエッ?
家がおもちゃ屋だったので後をつごうと思っていたのですが、大学生のころ、お店をしめることに。やりたいことをさがしていた時に見学したガラス工房で、運命が変わりました。美しく光るガラスと、網走の海や流氷、湖、雪のキラキラしたイメージが重なり、これだ!と思ったのです。

ガラス工芸を学ぶために東京の学校に通っていたのですが、ガラスを作るためには大量のエネルギーが必要であることを知り、作ることができなくなってしまいました。このまま環境に負荷をかけ続けると、子どもたちの未来をうばうことになるのでは、とこわくなったからです。

そこで、どうしたら使うエネルギーをへらせるのか、先生に聞いたりむずかしい本を一生けん命読んだりして、燃費のいい窯の研究をするようになりました。また、卒業後に環境にいい原料をさがしていたら、蛍光灯をリサイクルしたものがあることがわかり、それが網走のすぐそばで作られていることを両親が教えてくれ、網走にもどって工房を始めることにしました。
Q3.
仕事で苦労したこと、感動したことは何クエッ?
最初はお客さんが少なくて苦労しました。都会の人たちに関心を持ってもらおうと、東京に行って販売はんばいしてみても、「リサイクルだから安いのでしょう?」「質が悪いのでは?」と言われてしまい、売れませんでした。一方で、網走をおとずれる人がだんだんと関心を持ってくれるように。オホーツク海の自然に実際にふれることで、流氷硝子のよさを理解してもらえるのだと思い、うれしくなりました。

感動は子どもたちからもらっています。小学校の修学旅行で来てもらえることが増えていき、今では年間約50校、約1500人が来てくれるようになりました。未来をつくる子どもたちに楽しく、流氷のことをはじめ、環境について知ってもらうのは大きなやりがいになっています。
Q4.
どんな子どもだったクエッ?
店のおもちゃで自由に遊べると思われ、みんなにうらやましがられていました。でもそんなことはなく、親からは「ウチは、おもちゃを売って生活しているんだからね」と言い聞かされ、自分のおもちゃもそんなに持っていませんでした。

お菓子をあまり食べない家だったので、みんながチョコボールを食べて金や銀のエンゼルを集めているのがうらやましくて。キョロちゃんはあこがれでした。

おじいちゃんが漁師だったので、中学生になってからはタコ漁やホタテの養殖ようしょくを手伝っていました。手や体を動かす仕事や、オホーツク海が大好きなのはその影響ですね。

流氷は当たり前のもので、夜は流氷が岸に当たるゴボゴボという音がしてこわかったのを覚えています。最近は、流氷がへっているのでその音も聞かなくなりました。
Q5.
未来の大人たちへ
流氷は、ただの氷ではありません。魚介ぎょかい類の栄養げんとなるプランクトンを運んできたり、波を消しておだやかな海で漁ができるようにしてくれたりするので、流氷がへってしまうと海でとれる魚の量にも悪い影響が出てきます。

身近にせまる危機ききはだで感じる中、住み続けられる地球を何とかバトンタッチしていきたいと思っています。みなさんもどうか、未来の人たちのことを想像し、自分が感じた正しいと思う方向へ進んでください。
プロフィール
1979年北海道網走市生まれ。北海道工業大学(現 北海道科学大学)へ進学するが、ガラス工芸の道へ進むため東京の専門せんもん学校へ。沖縄の琉球ガラス村を経て網走へもどり、2010年、工房にショップやカフェを併設する「流氷硝子館」を開いた。
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