世界の目標達成に力を注ぐSDGs博士
「サステナブルな未来をつくろう」
世界が力を合わせて取り組むSDGs。その専門家として国内外で活躍する蟹江先生は、モリナガ・サステナブルサイトの監修者としても協力してくれているんだ! SDGsが未来にどう関係するか、身近でできることも聞いてみたよ。
SDGsに関する研究をしています。例えば、世界の国々のSDGsへの取り組みやその進み具合を分析し、その結果を元に日本の政府や自治体へSDGsを達成するためにどのようなことをするべきなのかを提案したり、企業へアドバイスしたりして、研究を社会に活かしています。
この前は航空会社に「二酸化炭素ゼロ」で飛行機を飛ばすことを提案。二酸化炭素があまり出ないバイオ燃料を使い、それでも出る分は二酸化炭素を吸収する木を植えることでプラスマイナスゼロにするというもので、まだ1回ですが、東京・沖縄間のフライトで実現しました。
慶應義塾大学大学院の教授として、学生たちと研究を進め、未来を担う人材を育てている。(写真は2021年春学期の研究室のメンバーと/慶應義塾大提供)
アメリカ・ニューヨークの国連本部で行われる会議に参加するなど、国際的にも活躍する。国連が出す「持続可能な開発に関するグローバル報告書」の2023年版を書く15人の1人にも選ばれた。(写真:蟹江先生提供)
Q2.
SDGs の達成に向け、身近でできることを教えてクエッ!
水筒を持ち歩き、プラスチックのごみになるペットボトルをなるべく使わないようにする。使っていない部屋の照明を小まめに消すことで、エネルギーのムダをなくす。食べ物は食べ切れる分を買うようにし、食品ロスをへらす。ふだんの生活の中でできることは、たくさんありますよ。
個人でもできることをみんながやれば、それが積み重なって社会全体が変わっていきます。新型コロナウイルスのときもそうでした。感染しないように、一人ひとりがマスクや手あらいをすることが、社会全体も守ることになりましたよね。SDGsも同じです。
Q3.
SDGs を意識する人が増えると、どんな未来になるクエッ?
みんなにとって生きやすい未来が訪れると思います。SDGsは世界が目指す未来を17のゴールで表したもの。今、2030年の期限がせまってきていますが、達成できないと大変なことになります。地球に住みづらくなり、もっと色々な取り組みをしないとくらせなくなってしまうので、達成しなくてはいけないのです。
意識して行動する人が増え、SDGsが期限までに達成できれば、みんなが大人になったころも今のような生活を続けていけるはずです。
気になったことを、なぜだろうと調べていくとわかることが増えると同時に、わからないことも増えていきます。だから、また調べていく、ということをくり返していくと、世界のことがどんどんわかるようになります。そういうことが楽しくて、いつの間にか研究者になっていました。
最初は世界の政治や国と国、人と人の関係を研究し、次第にサステナブルな未来のあり方を考えるようになりました。そんな中で登場したのがSDGs。内容を決めるプロセスにも関わり、それから研究を続けています。
世界で起こっていることに関心を持ったきっかけは、小学3、4年生の時に住んでいたインドネシアでの経験。当時はとても貧しい国で、外から来た日本人は豊かなくらしをしていた一方、周りを見ると、川で服や食器を洗い、トイレもすませるような光景があったのです。そこでくらす子とぼくは同じ子どもなのに、どうしてこんなにちがうのだろう。そう思ったことが心にずっと引っかかっていて、今につながっています。
Q5.
仕事で苦労したこと、感動したことは何クエッ?
苦労したのは、博士になるために書く論文です。論文は、分厚い本を新しく一冊書くようなもの。自分を高めるために大事なことですが、とても大変だったのを覚えています。
ちなみに論文のテーマは、オランダがなぜ国際社会でリーダーシップを取れるのか、というもの。オランダは小さい国なのに、国連でも地球温暖化に関する重要な発言をしていたので興味を持ち、2年ほど留学して情報を集めました。
楽しいのは、海外で色々な人と話をすることや、他の国の研究者といっしょに研究すること。ちがう環境で生まれ育った人たちと交流し、文化や考え方のちがいを知るのが面白くて、それが研究の種になることも。サステナブルな社会を実現するための方法は一つではないと実感しますし、刺激を受けることで創造力も高まります。
感動したのは、子どものころからあこがれていた国連の会議に参加して自分の意見を言えた時。この仕事をしていてよかったと思いました。
運動が好きで、いつも走り回っているやんちゃな子でした。
小学1、2年生の時はサッカー、その後、インドネシアでは野球をやって、日本に帰ってから引っこした東京の真ん中でも外で遊ぶことが多かったですね。
おやつは、クッキーやプリンなど、母が作ってくれるものが中心でしたが、週に1回もらえる30円でチョコやガムを買うのも楽しみでした。インドネシアにいた時は、おばあちゃんが日本からキャラクターのついたお菓子などを送ってくれ、その中にキョロちゃんのチョコボールもありましたよ。
得意だったのは百人一首で、小学校のクラス大会でチャンピオンになりました。
勉強では国語がわりと得意で、算数はちょっと苦手。特に勉強ができたわけではなく、野球の強い中学を受験したけど合格できませんでした。それがくやしくて、中学生になってからはがんばって勉強し、その中学には野球部はなかったけど、陸上部に入って部活もがんばりました。
ぜひ、大きな夢を持ってください。そして、夢を実現するために何が必要かを考えてみてください。例えばスキーの選手になりたいなら、その夢には雪が必要ですよね。しかしこのまま地球温暖化が進んでいったら、雪がふらなくなってスキーができなくなります。
このようにみなさんの夢ともつながっているのがSDGsです。達成に向けて、今できることに取り組んでいきましょう。
森永製菓は、モリナガ・サステナブルのようなサイトでSDGsのことを子どもたちに楽しく伝えてくれています。また、チョコレートの原料になるカカオ豆が、どうやって作られているのかを調べて、基準を満たすものを選んで使っているそうですね。カカオ豆の中には、子どもたちが苦しい思いをして作られたものもあるので、大切なことだと思います。
これからも、おいしいお菓子を通してできることをやっていってほしいと思います。ぼくも協力します!
プロフィール
東京都生まれ。慶應義塾大学卒業、同大学大学院修了後、北九州市立大学助教授、東京工業大学大学院准教授、パリ政治学院客員教授などを経て、2015年から慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。2020年からは、森永製菓のシンボルマークである「エンゼル」の精神を中心に据えて、「余暇時代の生活文化」と「家族のあるべき姿」に関する研究活動を行う森永エンゼル財団の理事も務める。