きれいな花火をずっと楽しむために
ゴミをへらす「エコ花火」を開発
夜空の花火ってすごくきれいだよね。でもね、花火を打ち上げた後には燃えカスのゴミが出るんだって。そこで柿木さんは研究を重ね、燃えカスの少ない「エコ花火」を作ったんだ。環境にやさしい花火なら、より安心して楽しめるね!
花火を作り、打ち上げる職人です。花火を打ち上げると、その周りには燃えカスが散らばるので、花火師たちは打ち上げた後に掃除をします。燃えカス自体はいずれ土にかえるので、環境に悪い影響を及ぼすものではないのですが、少しでもゴミをへらせるようにと「エコ花火」を開発しました。
打ち上げ花火は、「玉皮」とよばれる球状の容器に火薬を詰めた「花火玉」を、上空で爆発させます。爆発させるためには、「割薬」とよばれる火薬を使います。「割薬」は通常、お米のもみ殻を材料にしますが、繊維が丈夫なため燃えにくく、どうしても燃えカスが出てしまいます。そこで「エコ花火」では、爆発のときにほとんどが焼けてなくなる植物の種を使うことで、燃えカスが出ないようにしました。
通常は和紙を使う「玉皮」も、燃えカスが出ないように新しい素材を開発しているところです。
滋賀県長浜市にある花火メーカー「柿木花火工業」の3代目。花火を打ち上げるのは地元の琵琶湖周辺が多く、花火大会やお祭り、イベントの他、個人からの依頼もある。
花火玉の断面。玉皮の中に、カラフルな「星」と黒い「割薬」いう2種の火薬が詰められている。星は花火の色になる火薬で、割薬は爆発して星を遠くに飛ばすための火薬。
大阪・関西万博の開催予定地で2022年9月に行われた「夢洲超花火」で打ち上げた花火。濃い青色の花火は画期的で、柿木さんが開発した。(写真:takeboo415)
花火はおじいちゃんの代からの家業ですが、継ぐつもりはなく、高校卒業後はちがう会社に入りました。でも、仕事から帰った父が、つかれていても、「お客さんがよろこんでくれた」といつもうれしそうに話していたことが心に残っていて、自分もそういう仕事をしたいと思い、継ぐことにしました。
ただ、実際に仕事をしてみると、外国製の安い花火と「どこがちがうの?」と言われるなど、買ってもらうのは大変なことなのだと知りました。
そこで、何か特徴が必要だと考えて、思い出したのが燃えカスのこと。小さい時からよくごみ拾いをしていたこともあり、燃えカスのゴミをへらせたらいいなと思っていたのです。花火の材料は昔から決まっているのですが、安全ならちがうものでもよいのではと考え、「エコ花火」を完成させました。
Q3.
仕事で苦労したこと、感動したことは何クエッ?
「エコ花火」は完成まで4年かかりました。使えそうな材料をさがし、失敗と工夫を何回もくり返し、やっと出来上がりました。
さらに完成してからも苦労はありました。せっかく作ったのに、「燃えカス? お客さんに見えなければいいのでは」と言われてしまうこともあったのです。ゴミをへらして環境を守るという価値を伝えるのに苦労しました。
うれしいのは、自分のアイデアで作った新しい花火をよろこんでもらえた時です。
例えば青色の花火。花火で濃い青色を出すことはできなかったのですが、7年程前に開発に成功。それを打ち上げ、どよめきかが起こった時は感動がわき上がってきました。
実はこれ、失敗から生まれた成功だったんです。花火の色は、いくつかの火薬を組み合わせて作るのですが、その作業をしているときにくしゃみをしてしまい、分量がめちゃくちゃに。でも、試しに燃やしてみたら、予想外によい色が出せることを発見し、そこから研究を重ねて生み出したのです。
わんぱくで、学校ではしょっちゅう先生から注意されていました。でも、クラスの子からは頼られていたのか、相談を受けることも多かったんですよ。
お菓子で好きだったのはミルクチョコレートやチョコボール。
外をのびのびかけまわって遊び、毎日楽しくて、将来何になりたいとか考えたことも、親から家の仕事を継げと言われたこともありませんでしたね。でも、父が作って打ち上げる花火はすぐ近くで、いつも見ていました。
高校生の時は、部活のボートをがんばり、全国大会に出場にしたこともあるんですよ。
花火をよく打ち上げる琵琶湖は、小さいころはつりに行くなどの遊び場、高校生の時は部活の場、大人になってからはカヌーをやる趣味の場。ずっと関わってきた大切な場所です。そこをよごしたくないという想いも、「エコ花火」にはこめられています。
みなさんも、趣味でも遊びでもいいので、夢中になれること、好きなことを見つけてほしいと思います。目の前のことを一所懸命に続けることで気づけたり、出会えたりすることがたくさんあるからです。そのためにまず、色々なことに関心を持ってみてください。
プロフィール
滋賀県長浜市生まれ。滋賀県立長浜農業高校を卒業後、大手企業に7年勤務。静岡市の花火工場で5年修行し、2000年に家業に入る。「エコ花火」の他にも新しい花火の開発を行い、大会の企画など、花火の魅力を伝える活動にも取り組む。