金継ぎアーティスト
大脇京子さん
金継ぎアーティスト
大脇京子さん
日本の伝統技術「金継ぎ」で好きなものを大切に使い続ける
お皿が欠けたら、たいていは捨ててしまうよね。でもちょっと待って! 日本には壊れた器を使い続けるためのすごい技術があるんだ。それは「金継ぎ」。大脇さんは海外からも注目されるこの伝統技術で、大切にものを使い続ける価値を伝えているんだよ。
ヒビが入ったり欠けたり、割れたりした器を、「金継ぎ」という日本の伝統的な技術で修復します。室町時代から続く日本の技法で、茶道とともに発展してきました。西洋にも美術品などを修復する技術が発展していますが、これは割れたり壊れたりした「傷」の部分を見えなくする修復方法です。かたや日本の「金継ぎ」は、傷を模様として生かし、再び使えるように修復する技術です。今、海外からも注目されているんですよ。
漆を使った器の修復は旧石器時代~縄文時代から行われていたと考えられ、金での装飾は室町時代~安土桃山時代から、茶道と共に発展したと言われている。現在は漆の代わりに早くかわく合成接着剤を使うこともあるが、元々は全て自然素材を使う技術。
まずは漆とよばれる樹液から作ったのりで、割れた部分を接着します。これを乾燥させ、さらに漆を塗り重ねて継ぎ目をきれいに整えます。割れた部分がなめらかに接着できたら、ようやく金の出番です。継ぎ目に金の粉をまき、装飾します。ここまで3週間から数カ月もかかる地道な作業です。
修復するのは高価なものだけではありません。修復を依頼される時、共通するのは「愛着」です。子どものころに使っていたキャラクターのお茶わんが割れ、「直してほしい」と頼まれることもあります。和食器だけでなく、洋食器やコップなどガラス製品も修復できます。私が心がけているのは、修復することで、割れる前よりも良いものにすること。白い食器には金ではなく銀を使って、すっきり見せるなど、ものと人に合わせたデザインを提案しています。
漆に小麦粉を混ぜたもので割れた所をくっつけ、かわかし、やすりをかけて……といくつも工程を重ねる。漆が固まるのに時間がかかる
子どもが生まれたのをきっかけに、食について考えるようになりました。食材と同時に食器についても考えるようになり、大量生産・大量消費社会への疑問を持ちました。いいかげんなものを買ってはすてるより、お気に入りを大切に使った方が楽しいし、環境にもやさしいと思いました。ちょうど子育てをしながら取り組めることを探していた時だったので、「金継ぎ」がぴったりはまりました。
教室で基礎を教わり、その後、家族でアメリカに住んだ時、ギャラリーで行った作品展をきっかけに、少しずつ依頼を受けるように。日本へ帰ってから本格的に仕事にするようになりました。
Q3.
仕事で苦労したこと、感動したことは何クエッ?
ヒビや割れの部分を生かして修復する「金継ぎ」。日本各地や海外から多様なものの依頼を受ける他、教室などで技術を伝えている。
漆は温度が高めで湿気の多い状態で固まる性質があり、気候の変化に合わせるのに苦労しています。室という高温多湿になる専用のスペースもありますが、自然の素材を使うのでコントロールがむずかしいのです。漆は肌(はだ)がかぶれることがあるので、その注意も必要です。
一つひとつの器に物語があり、特に感動するのは長い時を経たものを手にする時。おばあちゃんのよめ入り道具といったものの依頼も多く、100年以上前のものがめぐりめぐって自分のところへ来て、直したものがまた新しい時代へつながれていくと思うと、じーんとします。
生まれ育ったのが海も山もある自然豊かな場所で、外で遊ぶのが好きでした。お菓子や料理など、作ることも好きでしたが、絵や工作は苦手でした。一から作れなくても、直したものがアートにもなる点も「金継ぎ」にひかれた理由です。勉強で好きだったのは国語。読書と、あと漢字が好きで、それは習字を習っていたからというのもあります。習字は今の仕事の筆づかいに役立っていますね。自分で作るお菓子の他、買うお菓子もよく食べていました。ビスケットではマリーが好きな子とムーンライトが好きな子がいましたが、わたしはムーンライト派でした。
チャレンジして、失敗したり傷ついたりすることがあっても大じょうぶ。きっと乗りこえて良い方向へいけます。おそれずトライしてください。これも「金継ぎ」を通じて伝えたいことです。壊れた器がよりよくなるように、失敗や傷ついた経験を乗りこえた人には魅力があります。コンプレックスや欠点に通じる、傷をかくさないで生かすといった精神性からも、「金継ぎ」は海外でも注目されているんですよ。
好きなものを大切に使っていると心も豊かになり、資源を大切にすることにもつながります。そんな積み重ねで、未来の社会も豊かになっていくのではないでしょうか。
プロフィール
熊本県天草市生まれ。アパレル会社などに勤務後、2009年に独学で「金継ぎ」を始め、次の年から福岡金継ぎ工芸会で学ぶ。2014年にカリフォルニアのギャラリーで作品展と実演を行い、帰国後、神奈川県・鎌倉を拠点に活動している。3人の子の母。