サステナブルなお仕事No.52

雪屋媚山ゆきやこびやま商店 大番頭おおばんとう

本間ほんま弘達こうたさん

雪屋媚山ゆきやこびやま商店 大番頭おおばんとう

もり良平りょうへいさん

“やっかいもの”の雪を活用
地球にやさしい「雪冷房れいぼう
雪だるまをつくったり、雪合戦したり、雪がふると楽しいことがいっぱい。でも、大雪がふるとこまることも多いよね。雪国ではやっかいものの雪を、夏に冷房として活用する「雪冷房」の会社をいとなむ本間さん。30年前から雪を利用する研究を続けていて、「雪博士はかせ」とばれているよ。
Q1.
どんなお仕事クエッ?
雪冷房を知っていますか?冬にふった雪を取っておいて、夏に冷房として使う技術ぎじゅつです。北海道美唄市びばいしにある私の会社では、この雪冷房の設計せっけいから設置せっちまでを引き受けています。これまで手がけた中で一番大きな施設しせつは、北海道の新千歳しんちとせ空港。冬に滑走路かっそうろにふった雪をためておき、夏に空港のビルの冷房として活用しています。そのほか農作物の保存ほぞん施設や福祉ふくし施設など、これまで40カ所以上で雪冷房の導入どうにゅうにかかわってきました。

日本の面積の約51%は雪がたくさんふる豪雪ごうせつ地帯です。雪をてたり、かしたりするために多くのエネルギーと費用ひようがかかっています。雪国の人にとって雪はやっかいものです。しかし、この雪を雪冷房として利用すれば、通常つうじょうの冷房とくらべて電気代を大きくおさえることができます。また、電力の消費しょうひが少ない雪冷房なら、地球温暖化おんだんか原因げんいんとなる二酸化炭素にさんかたんそ排出はいしゅつらす効果こうかもあります。やっかいものの雪を天のめぐみに変えられる。それが雪冷房です。

その昔、日本では雪を使って食品などを貯蔵ちょぞうしておく「氷室ひむろ」という施設がありました。電気がない時代、ものを冷やすエネルギーとして、昔の人たちも雪を活用していました。雪冷房はその現代版げんだいばん。最近では、電力を大量に消費するデータセンターなどにも雪冷房が導入されるようになりました。雪を捨てるものから、新しいエネルギーげんへ変えていきたいと思っています。

※インターネットの機器や装置そうちを安全に保管ほかん、運用するための施設
本間さんが住む美唄市は、北海道の中でも雪が多くふる豪雪地。冬の生活に除雪は欠かせない。
本間さんが住む美唄市は、北海道の中でも雪が多くふる豪雪地。冬の生活に除雪は欠かせない。
Q2.
なぜ、そのお仕事を選んだクエッ?
雪に興味きょうみを持ったのは30年近く前になります。当時は建設けんせつ会社で設計の仕事をしていました。ある時、札幌市さっぽろしにある「モエレぬま公園」という大きな公園の施設に雪冷房を導入するプロジェクトの担当たんとうになったのです。しかし全く知識ちしきがなかったため、雪を研究している大学の先生に教わりながら勉強しました。するとおもしろくなり、すっかり雪のとりこになってしまいました。

わたしは北海道で生まれ育ち、小さいころから雪はイヤなものでした。それが発想を変えれば役に立つ、しかも地球にやさしく、電気代も安くなると知っておどろきました。この雪冷房の技術はきっと世の中に役立つと確信かくしんし、もっと広めたいと思いました。そこからは雪冷房の仕事を多く担当し、2012年に自分の会社を立ち上げました。
イベントで雪だるまをつくる雪博士の本間さん。雪をあつかう会社ということで、会社名に「雪屋」を入れた。
イベントで雪だるまをつくる雪博士の本間さん。雪をあつかう会社ということで、会社名に「雪屋」を入れた。
Q3.
仕事で苦労したこと、感動したことは何クエッ?
雪冷房に取り組み始めてしばらくは、周囲しゅういの人から冷たい目で見られていました。「夏まで雪をとっておけないだろう」と言われ、理解りかいしてもらうのが大変でした。そんな苦労があっても、収穫しゅうかくしたお米を雪冷房で保存している農家さんから、「大事に育てたお米を長く、おいしく保存できてうれしい」と言ってもらえたり、お客さんによろこんでもらえたりすると、やってよかった、次もがんばろうと思うことができます。雪冷房は温度や湿度しつどを一定にたもつことができるため、お米や野菜を長期間、おいしい状態じょうたいで保存できると言われています。

2011年の東日本大震災だいしんさいの時は、電力不足になった東京に雪を運び、ホテルの冷房に活用してもらったこともありました。今では地球温暖化や環境かんきょう問題に対する世の中の意識いしきが変わり、多くの人に雪冷房のメリットを理解してもらえるようになりました。今はむねって雪の仕事に取り組んでいます。
雪国に暮らす人たちが、雪国の未来を考え、交流する「雪の市民会議」の副代表も務めている。
雪国に暮らす人たちが、雪国の未来を考え、交流する「雪の市民会議」の副代表も務めている。
Q4.
どんな子どもだったクエッ?
やんちゃな問題児で、勉強はきらいでしたが成績せいせきは良く、先生にとってはあつかいにくい子どもだったと思います。高校生になっても勉強ぎらいは変わらなかったのですが、さすがに成績が落ちてしまい、3年生の時に1年生の教科書からやり直した苦い思い出もあります。子どもの頃のおやつと言えばチョコボールですね。おもちゃの缶詰かんづめをもらったこともあります。キョロちゃんが好きで、マスコットも集めていました。
Q5.
未来の大人たちへ
雪国をなやませる雪を活用し、社会をゆたかにしたいと考えています。私が暮らす美唄市は過疎化かそかが進んでいますが、雪を活用しながら産業を育て、未来へ向けて持続可能かのうな社会にすることを目指しています。

仕事をするときに私が大事にしているのは50年後、100年後、長い目で物事を考え、判断はんだんすること。みなさんも頭の中で未来を想像そうぞうしてみてください。50年後や100年後、どういう社会になっていればいいかを考えてみてください。それが豊かな社会につながっていくことだと思います。
プロフィール
北海道生まれ。室蘭むろらん工業大学と同大学院で建設を学ぶ。札幌市の大手建設会社にいた時に、母校で雪冷房システム研究の第一人者である媚山こびやま政良まさよし先生に師事しじし、工学の博士号はくしごう取得しゅとく。2012年、恩師おんしの名をもらった「雪屋媚山商店」を設立せつりつした。
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