森永の創業者“森永太一郎”の創業以来の夢。それは、『世界的に優れたお菓子を作り、海外への輸出を盛んにし、国益をはかりたい』 というものでした。
1914年(大正3年)、太一郎は当時の主力商品であったキャンディーの輸出ルートを開拓するため、東南アジアへ出張していました。その時、第1次世界大戦が勃発したのです。戦争が激化するにつれ、東南アジアの市場からヨーロッパの菓子の姿が次第に減ってゆくのを目の当たりにし、太一郎は決意しました。
『アジアはビスケットの供給が不足する。ならば、ビスケット分野への進出を急がなければ!』
その年の11月。太一郎は早速、芝田町工場内にビスケットの焼き窯を新設し、輸出用ビスケットの試作にとりかかりました。創業から16年目のことです。 翌1915年(大正4年)、本格的にビスケットの製造を開始すると、予想通りアジア南方からの注文は殺到しました。しかし、国内向けのビスケットは一切販売しなかったのです。
なぜなら、当時国内では、外形のみにこだわった、品質上問題のある粗悪品のビスケットが多く出回っていたからです。
太一郎は“安かろう悪かろう”という風潮を嘆き、そして、 『良心に恥じぬ品質の製品しかつくらぬ』 という強い信念を通したのでした。