1952年(昭和27年)、7年続いた進駐軍専用売店との契約を辞退するとともに、砂糖や小麦粉の統制が撤廃されると、森永はビスケットを待ち望む国民の声に応えるかのように、OSS(米軍家族軍属用売店)向けだったチョイスを国内向けパッケージとして発売。更に、一般市場にハーバードクリーム、マンナ、マリーなどを復活させ、好評を博していったのです。
森永は、ビスケット製造設備の近代化を目指し、鶴見、塚口、両工場の抜本的改造を開始したのもこの時期です。
その改造の目玉となったのが、原料混合から、成型、焼き上げまでの一貫製造工程を全自動で行う機械。そして、そのポイントとなる、全長70メートルにも及ぶスチールバンドオーブンでした。
国内でいち早く取り入れた新設備により、ばらつきのない高水準の品質で、生産能力もいままでの5倍以上となり、製造原価の大幅な引き下げが可能となりました。そして、お客様に還元するために価格はそのままにし、増量することにしたのです。
また、日本のビスケット業界が、欧米のビスケット生産技術に追いつき、近づく貿易自由化に備えて、技術向上を急ぐステップにしたいという考えのもと、業界に例のない同業者への設備公開に踏み切ったのです。