TAICHIRO MORINAGA

TAICHIRO MORINAGA

お菓子をこえる、「をかし」な体験を。

1899年、お菓子が新しい体験だった時代。
キャラメルやマシュマロを、初めて口にした日本人は驚きました。
その「新体験」を届けたのは、森永製菓の創業者、森永太一郎。

現代の私たちの言葉で言い換えるなら、
美しい。見事だ、趣がある、心惹かれる。
そんな「をかし」な体験。

いま、あらためて原点に立ち返り、
120年以上をかけて磨き上げてきたお菓子づくりの技術で、
そんな「をかし」をかたちにします。

味わったことがない体験を、お菓子を通してみなさまにお届けする。
私たちは、TAICHIRO MORINAGAです。

TAICHIRO MORINAGAとは?
森永製菓のお菓子作りに対するこだわりを形に
コンセプトブランド「TAICHIRO MORINAGA」。
創業者、森永太一郎から続く森永製菓の熱き想いを、お菓子に込めてお届けしています。
創業者 森永 太一郎

創業以来、
常に新しいチャレンジをしてきた森永太一郎

challenge1 日本の西洋菓子のパイオニア
日本の食糧事情が良好ではなかった時代。森永製菓の創業者、森永太一郎は「栄養のあるおいしいお菓子を日本の人々に食べてもらいたい」という強い想いで、米国に11年滞在し、西洋菓子の製法を習得しました。そして1899年、わずか2坪の「森永西洋菓子製造所」を開業。それまでの和菓子中心の日本の菓子業界に「革命」をもたらしました。
1900年東京の溜池表通りに進出。
初めてのミルクキャラメル単独広告。(1913年)ミルクキャラメルバラ売り缶。(1913年)
challenge2 日本初のミルクキャラメル発売
日本で最初にキャラメルを製造した森永製菓ですが、当時、牛乳やバターに慣れていない日本人にはなかなか受け入れられませんでした。そこで、乳製品の量を調整し、柑橘系の香りを加えたりと、様々な試行錯誤を重ね、ようやくキャラメルは皆に愛される人気商品となったのです。
challenge3 時代を先取りした広告で話題に
1931年、より多くの方にキャラメルのおいしさを知ってもらうためには、需要を喚起することが重要であると考えました。森永太一郎は、当時まだ珍しい飛行機を使った「ミルクキャラメル飛行機セール」や、空箱で作った作品を募集する「キャラメル芸術」など、 ユニークな広告を展開。人々に驚きを与えました。
飛行機セールでは、上空からビラやキャラメル引換券、宣伝用パラシュートなどを投下し、訪問都市を盛り上げた。 キャラメルなどの空箱を利用して工作した作品を募集した「キャラメル芸術」。
  • キャラメルバウム
    キャラメルバウム
    一層一層、丁寧に焼き上げたバウム。キャラメルのコクの中にオレンジが香る奥深い味わいに。
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  • 焦がしキャラメルフィナンシェ
    焦がしキャラメルフィナンシェ
    もっちりとした食感のフィナンシェ。キャラメルをじっくり煮詰めてうまみを最大限に。
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  • キャラメルサンド
    キャラメルサンド
    煮詰める温度によって変化していくキャラメルの味わいを、3種類のサンドで表現しました。
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  • 華やぐフィナンシェ~ジャスミン茶葉仕立て~
    華やぐフィナンシェ
    ~ジャスミン茶葉仕立て~
    ジャスミンの香りの焼菓子という新しいおいしさ。食べ進めるうちに変化する華やかで芳醇な味わい。
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  • TAICHIROのための萩原珈琲ベストセレクト3種
    TAICHIROのための
    萩原珈琲ベストセレクト3種
    神戸の老舗珈琲店が「TAICHIRO MORINAGA」のお菓子のためにコーヒーを焙煎しました。
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