第三話(1915年〜1916年)
この大好評に力を得て、紙サック入りのミルクキャラメルは一般市場でも販売を開始。生産が追いつかない程の大ヒット商品となりました。その後、紙サック入りキャラメルの大増産を行い、良い品質のものを多くの消費者に届けたい願いから、あの手、この手の大宣伝活動を展開しました。 今日から見れば滑稽ですが、社員が汽車に乗った場合には、森永のミルクキャラメルを食べて見せたり、日本で初めての「自動車宣伝」も実施しました。当時はまだ自動車自体が珍しく、町を走るだけでも目立った時代。車体の横に「森永ミルクキャラメル」の文字を染め抜いた美しい幕を張り、走りながらビラや小旗を散布するという派手なパフォーマンスで世間をアッと言わせました。 |
やがて、ポケット用ミルクキャラメル小(10粒入り)5銭の発売を期に新聞広告も開始。大正3年4月23日に「禁煙を欲せらるる紳士淑女の為に特製ポケット用」というキャッチフレーズで第一号が掲載されました。これらを見ても解るように、キャラメルは当初、「高級な大人用のお菓子」として普及しており、同年7月10日の広告から「煙草代用」のスローガンが斬新なキャッチフレーズと共に起用されました。 |