第五話(1918年〜1928年)
大正7年、取締役支配人・松崎半三郎が初の渡米。この目的ひとつは、大量の注文に応じるための自動包装機の輸入でした。しかし、当時はアメリカでもキャラメルに自動包装機を使用しているところは少なく、たいていは森永同様の手包装。けれども製菓機械を製造販売している会社を訪ね、キャラメル包装機とカット&ラッピングの機械を1台づつ輸入することになりました。ただ、この包装機を実際に使用してみたところ、アメリカほど油脂分の多くない日本のキャラメルには向かず、実用には適しませんでした。次に輸入したのは、イギリスの製品2台。 | ||
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